◆HOME / 軍人将棋の歴史


●軍人将棋のはじまり

 まぼろしチャンネル串間努氏によれば、軍人将棋の歴史を遡ると、浅草の業者が天童市にあらわれたことに始まるという。 山形県天童市の中島清吉商店は、明治十年の創業で、先祖は元織田藩、天童市の士族であった。織田藩は富裕では無かったので、藩士たちに将棋のコマ作りの内職を督励した。そのため、中島清吉商店の初代中島為三郎も駒の内職をしていた。
 明治末期。浅草の西口商店の初代、西口栄助氏が、中島為三郎から、無刻(何も彫ったり描いてない)の将棋駒を作ってもらい、南京袋に詰めて東京に持ち帰った。これが軍人将棋の始めである。 黄色のコマはオーラミン、赤いコマは赤の染料で染めて、「中佐」などのスタンプを押していた。 西口栄助氏はゲーム関係の店に勤務していたらしい、そこで将棋を売って見たらと思い、何かのつながりがあって、駒を買いに中島清吉商店にきたらしい。いまとなっては両店の関係ははっきりとはわからない。 誰かと相談をしたのかもしれないが、西口さんが行軍将棋のルールを考案したことになっている。

 中国生まれの将棋は、もともと軍事に関係ある。西口氏は多分、「金将」「銀将」などをみて、「大将」「中将」がひらめき、もっとリアルに軍隊化して児童の遊戯ゲームとしたのではと串間努氏は推測されている。

●軍人将棋の歴史

 軍人将棋には「行軍」と「大行軍」がある。 「行軍」は駒が陣地が小型で枚数も一軍が二十三枚、「大行軍」は三十一枚。 小型は工兵が二、タンクが二、地雷が二、少佐・中佐・大佐が各一、ヒコーキが二、少将が一枚と八種八枚足りないのである。
 商品の差別化をすることで、レパートリーが広がり、売り上げも伸びる。ビジネスの観点から金額的に高いモノと安いものを作ったものと思われる。明治末期のものは「小型行軍」である。 最初は値段が安いこともあってか、小型の方が売れていた。これは昭和五十年代まではあったという。そして、昭和七・八年頃のカタログを見るとこのころにはもう「大型行軍」が出現している。 昭和に入ると、西口商店が無刻印のコマを買っていくのではなく、中島清吉商店のほうであらかじめ染めて、スタンプの捺印もすることになった。 もともと将棋作りが盛んな天童市では「書き屋」といわれる子どもたちが、学校が終わった後に「歩」などの駒を手書き内職している伝統もあったのだった。 一番大変なのが乾燥であった。また、箱に詰めながらスタンプを押していたので、『駒が足りない』というクレームがあったりもした。
 昭和十七年から二十年にかけては、慰問袋用の需要があったので良く売れた。これが軍人将棋のピークと言ってもいい。 ゲーム盤は、昔は白黒だったが、昭和六十年頃からカラーになる。 木製にしたらよいものと思われるが、軍人将棋の場合、プレイヤーのどっちがどっちに勝ったかを判定したりのルールを載せないといけないので、説明書つきの紙のゲーム盤にするしか無かったのだった。 箱は昔はボール箱の表面にラベルを張っていたが、昭和三十年代後半からは印刷箱になった。


●軍人将棋の進化

 昭和四十年代には西口商店が「ミサイル行軍」をつくってくれと申し出てきた。しかし中島商店では軍人将棋の製造もあるし、本来の将棋製作もあるので忙しく手が回らない。「できない」と申し出ると神尾商店で製作することになった。しかしミサイル行軍はそれほど売れない。
 軍人将棋は昭和三十年代には一箱200円くらいで、売上げの40%を行軍将棋が占めていたが、だんだん売れなくなると高級な将棋駒の製造にシフトして行く。 三人いないとできないのも、少子化の波の中では難点であったろう。これを克服しようとして大手玩具メーカーで、電動の軍人将棋を作ったのを見たことがある。
 中島商店では平成に入ってから製造を止めた。最後は一箱800円だ。 西口商店は軍人将棋から天童とつながりができ、東京で将棋を扱う大問屋に成長した。 将棋と軍人将棋と平行して売っていた西口商店は今では任天堂の関東・東北総代理店になっている。テレビゲームが軍人将棋を駆逐したのかと思っていたら、なんと発売元自体が任天堂の仲間入りをしていたのだった。


注釈:
山形県天童市といえば将棋の里。全国の将棋駒生産量の約95%を占める天童特産の将棋駒産業のおこりは、江戸時代に旧天童藩士が内職として始めたことに由来するといわれている。
織田藩の用人職にあり、のちに勤王の志士として知られた吉田大八が、その受ける扶持だけでは生活できなかった藩士に将棋駒製作の内職を「将棋は戦闘をねる競技であるから武士の面目に傷つける様な内職ではない」と奨励し、これが天童駒の始めとされている。

参考:
まぼろしチャンネル - 昭和の思い出ネットワーク
     串間努氏の記事を大幅に転載させていただいた(転載許諾済)。
     ところどころ割愛付け足ししており原文とは多少違いがある。
山形県天童市
中島清吉商店